村上龍/アメリカン・ドリーム
読んだ。らしさ全開。龍の頭のよさが大好き。
レビューなんてものは誰かがしてるだろうから、この本を読んだときにケミストした断片をつれづれと書こうと思う。まとまってないかもしれないがそれがいい。
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/10
- メディア: 文庫
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出版社/著者からの内容紹介
佐世保でのGIとの出会いからエンタープライズ闘争、基地の町福生での生活と、絶えずアメリカと対峙してきた著者が、アメリカとは何か、そしてそれと分ちがたく結びついている日本文化とは何かを鋭く問いかける。「アメリカが世界だ」と言い切る著者が“父なるアメリカ”への思いを熱く綴ったエッセイ集。
小説やら音楽やら映画やらの芸術に深い意味があることが良いことだとする風潮がある。蔓延っている。
どうして深い意味をくみ取れる作品=芸術性が高く素晴らしい作品である必要があるのか。それは間違いなく固定観念、先入観、すりこみ、勘違いのいずれかである。
深い意味を読み取れることに優越感を覚え、それがあなたを装飾するアクセサリーとなるから、それをを良い作品だと褒め称え、自分のアクセサリーを自慢する。
それは恐ろしく滑稽な姿であり、それに気付いてないことがさらに滑稽さに輪をかける。
よもや同調する周りにでもなろうものなら滑稽を通り越してもれなく憐れみを贈る。
要は芸術をファッション化しているということだ。
芸術のファッションは「優越感」と「周りとの共感」を生み(それが小規模なら小規模なほどあなたは満足するが、実際にそれはいかに大規模であるかということに気付いていないだけである。)、その満足感が更なるアクセサリーを求める。
特に思うのだがポップの否定を強く促すものに嫌悪を覚える。ポップに飲み込まれて気付かないやつはその馬鹿さ加減ゆえ可愛く見えてまだマシだ。
そんなことを断片的に思った。
◆メモ
芸術のファッション化
ポップを体現するアメリカ
ポップに意味は無い。